まいど!シロメガネです!!
昨日、学校の勉強と題して、吟じた訳ですが。Twitterでコメントをいただき、大人になってからの勉強と何が違うのかな?ってことを考えていました。
明確な目的や楽しさがあるからだろうと、そのコメントには返したのですが、その後も色々と考えていたら、自分なりの答えにたどり着いたので、ここに記しておきます。
勉は「勉める(つとめる)=努める」で努力すること。強は「強いる(しいる)」で強制すること。「努力を強いる」ことだと考えました。そう考えると、なんとなく腑に落ちたのですが。
自分たちが学生の時、どうでしたでしょうか?
「先生!台形の面積の出し方なんて覚えて、何の役に立つの?」
「先生~!歴史なんて、もう終わったことやん~。覚えんでええんちゃうの?」
「えぇ~!古文なんて、いつ使うん?要る?」
こんなコミュニケーションありませんでした?
先生が
「それは将来の為だよ!」「良い学校に行く為には必要なんだよ!」「将来困るよ!」
なんて言ってませんでしたか?
これって、明確(具体的かつ納得感のある)な目標じゃないし、
「努力を強いられる」だけなので、誰も前向きにはなれないんですよね。
大人になって、何か目的のある勉強っていうのは、
たぶん「勉強ではなく学び」なんだろうって思います。
昔、上司から「学びはまね(真似)び」だと言われました。何かしらうまくやってる人の真似をしたいと思って行動に移すことであったり、他のジャンルや業界において、
パイオニア的にやってるモデルケースに憧れて真似るようなことなんだろうと思います。
っで、ちょっとそれっぽいサイトを検索して調べた内容を付け加えると、
勉強は「勉め強いる」と書くように、本来は気が進まないことを仕方なくする意味の言葉であった。商人が頑張って値引きをする意味の「勉強」は、江戸時代から使われており、学問や技芸を学ぶ意味の「勉強」よりも古い。明治以降、知識を得るために努力することが美徳とされるようになったことから、「勉強」は「学習」とほぼ同じ意味で使われるようになり、一般的に「学習」を意味するようになった。
らしいです。
あわせて、中国の語源からすると、「無理強い」というようなネガティブなことではないようでした。
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