まいど!シロメガネです!!
今日は「ルール」について
便利そうに見えるそのルール、誰のためにあるのか考えたことありますか?
マンションの管理規約、学校の校則、会社のドレスコードなどなど。
秩序を守るためにあるはずのルールが、知らぬ間に「誰かの支配ツール」になっている。
たとえば「挨拶をしなさい」というルール。
これは一見、円滑な人間関係を築くための基本に思えるかもしれません。
でも、そのルールを盾に「あの人は挨拶をしないからダメだ」と評価される空気が生まれたとしたら、なんか嫌ですよね?
「決まりですから」は、思考停止を招く悪魔の言葉。
ルールに従っていれば安心、安全、正しい。
そんな「思い込み」を持っている人は、少なくないはず。
でも、ルールがあること自体が、必ずしも安心や安全をもたらすとは限りません。
防犯カメラの数は増える一方ですよね?
本当に「守られている」と感じますか?
それとも「常に見張られている」と感じますか?
ルールや監視が増えるほど、私たちは「安心」という名の不自由に縛られていくことになるように思います。
それは「ルールが私たちを守ってくれている」というより、
「ルールの枠の中に私たちが閉じ込められている」感覚に近いのかもしれません。
ルールを「守る」「破る」の二元論ではなく、
そのルールがなぜ存在しているのか、どんな目的を持って作られたのかを
しっかりと考える視点が大切に思います。
大人になればなるほど、無意識にルールを受け入れがちです。
でも、時には子どもみたいに、こんな風に問いかけてみてもいいんじゃないでしょうか。
「なんでそれ、決まってるの?」
その問いが、支配から自由へと抜け出す第一歩かもしれません。
尾崎豊が歌ってました!「この支配からのぉ~ 卒業~」と。
